【ネタバレあり】映画『鬼滅の刃 無限城編 第一章 猗窩座再来』全バトル&物語構造を徹底解説!

――最終決戦、ここに始まりまる。

2025年夏に劇場公開された『無限城編 第一章』は、鬼殺隊と鬼舞辻無惨、そして上弦の鬼たちとの宿命の最終決戦を描く“終章三部作”の幕開けとなる作品です。

これまで『鬼滅の刃』が丁寧に積み上げてきた“因縁”と“想い”が一気に爆発する構成となっており、本作では主に三つの戦いが描かれます。

この記事では、映画第一章の描写と構成に忠実に基づき、ネタバレと考察を交えながら、各戦い・役割・演出意図・テーマ構造について丁寧に解説していきます。

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映画の前に:御館様の作戦──命を賭けた開戦の布石

物語は、産屋敷耀哉(お館様)の屋敷に鬼舞辻無惨が姿を現す場面から始まります。

耀哉は重い病により余命わずかな状態にありながらも、その命を囮として“決着の舞台”を動かす策を巡らせていました。

耀哉の作戦は非常にシンプルでありながら、命を懸けた強硬なものでした。

「無惨が自分を殺しに来ること」を前提に、屋敷中に爆薬を張り巡らせ、無惨に致命傷を負わせる構えだったのです。

「この場面では、鬼の研究を続けてきた珠世が、御館様と共に作戦を決行します。

爆発のタイミングに合わせて、珠世は血鬼術によって無惨を拘束し、無限城へと引きずり込む流れが用意されていました。

耀哉の命はここで尽きてしまいますが、その犠牲によって鬼殺隊と無惨、そして上弦の鬼たちとの総力戦が可能となりました。まさに、無限城編の幕開けとなる決断だったといえるでしょう。

無限城に落ちた戦士たち──その組み合わせと“配置の意味”を読み解く

『鬼滅の刃 無限城編 第一章』では、鬼殺隊と鬼舞辻無惨との最終決戦が、突如として“無限城”という異空間に舞台を移します。

この落下劇は、ランダムに見えて実は極めて戦略的であり、それぞれの落下ペア・単独組には、明確な“意味”が込められているように感じられます。

以下、それぞれの組み合わせとそこに秘められた意図を考察します。

■ 同時に落下したペア

鬼舞辻無惨 & 珠世

→《因縁の同時落下/開戦の導火線》

無惨と珠世は、アニメの最終局面の配置のまま、同じ空間に落下。長年の因縁が正面からぶつかる構図となり、最終決戦の口火を切る配置です。

別に落下した隊士たちも、無惨と珠代の元を目指します。

冨岡義勇 & 竈門炭治郎

→《対戦の布石/師弟の共闘強調》

義勇と炭治郎は、空中で落下していく最中も同じ視界におり、その後も並んで戦闘に突入していきます。

この配置は、過去に対立や葛藤があった二人が、“信頼と共闘”の関係へと変化していることの象徴であり、最終決戦における“師弟の覚悟”を描く意味があると考えられます。

悲鳴嶼行冥 & 時透無一郎

→《柱同士の補完関係/無限城の構造突破の鍵》

年長者であり戦闘力トップの悲鳴嶼と、若き天才である無一郎。2人は“技術と経験の両極”に位置しつつも、互いを認める形で落下。

第一章では直接の戦闘描写はないものの、城の構造を解析し、戦局を切り拓く役割としての並列配置と解釈できます。

甘露寺蜜璃 & 伊黒小芭内

→《絆の強調/戦う理由の明確化》

この2人は明確に「並んで落ちていく」描写があり、同一空間に存在していることが示されます。

後の戦いに備えて、“落下の瞬間”から彼らの結びつきを印象づけておく演出だと考えられるでしょう。

単独で落下した人物

胡蝶しのぶ

→《因縁の対決へと導く、孤独な突入》

しのぶは完全に単独で落下し、無限城内のある空間にたどり着きます。その先にいるのは、彼女の中で特別な想いを抱える「誰か」。

この配置は、他者の助けを借りず、しのぶ自身の意志で向き合う姿勢を象徴しています。彼女の背負ってきたもの、その覚悟が静かに描かれる場面でもあります。

栗花落カナヲ

→《継子としての継承/感情の発露と成長の兆し》

カナヲはしのぶとは別の空間から落下。その後、無限城内を移動しながら、しのぶの元へと辿り着きます。

かつて無表情だった少女が“感情を燃やし始める”転換点となっています。

我妻善逸

→《決着の刻/因縁の自立》

善逸は、かつての兄弟子・獪岳と対峙すべく、単独で落下。第一章では早い段階から戦闘に突入します。

誰の支援もない状態で、自らの過去と向き合う配置は、彼の精神的な成長と“自立”の物語を映し出します。

● 不死川玄弥

→《観察者としての中立配置》

玄弥は明確な対戦相手とは出会っておらず、探索しながら無限城を移動しています。

これは「鬼の力を取り込む」という特殊体質ゆえの役割や、のちに重要な戦闘に絡む伏線としての“観察者配置”と捉えられます。

● 嘴平伊之助

→《空間を駆け回り“気配”を強く残す/動き続ける観察者》

伊之助は無限城に落下した直後から、独自のペースで空間を駆け回り、壁をよじ登ったり、天井の裂け目を見上げたりといった行動を繰り返しています。

終盤では、ヤタガラスに向かって「強い鬼のところへ連れて行け」と叫ぶ場面が描かれ、戦場への自発的な突入が示唆されました。

■ 交戦と探索を結ぶ“伝令”の存在

愈史郎

→《無限城にて、視界制御のキーパーソン》

愈史郎は、無限城に入り込み、鳴女の血鬼術によって変化する空間構造に対抗しています。

自身の血鬼術を用いて視界を操作し、産屋敷輝利哉、ヤタガラスたちと視界を共有するなど、隊士たちの動きを裏から支える存在です。

直接戦うのではなく、“見えない戦線”を制御する役割を担っています。

ヤタガラスたち

→《空から戦局を支える伝令/情報と戦術の架け橋》

ヤタガラスは、愈史郎の術によって視覚が共有されており、無限城内の隊士たちの様子を、後にご紹介する「本部」に伝えています。

彼らは情報伝達とナビゲートを兼ねる存在。分断された隊士たちの連携を取り戻すため、“空からの伝令”として欠かせない役割を果たしています。

■ 落下していない者たちの意味

● 産屋敷輝利哉・妹たち

→《指令本部の中枢/戦況統括の要》

無限城には落下せず、外部の安全な拠点から隊士たちの位置や敵の動向を監視しています。

彼らはヤタガラスの視界を共有することで、混乱の中でも冷静に状況を整理し、最善の判断を下す「司令塔」として機能しています。

無惨戦に向けて全体の布陣を整えるため、欠かせない役割を担っています。

宇髄天元 & 煉獄槇寿郎

→《指令班の護衛/戦術拠点の支援者》

2人は無限城に落下せず、外部の作戦拠点にて産屋敷輝利哉とその妹たちを護衛・補佐しています。

鬼殺隊の指令中枢が無惨に狙われるのを防ぐための配置であり、元柱としての実力を活かして戦局を根底から支える役割です。

槇寿郎の存在は、かつての柱──煉獄杏寿郎の意志が現在の戦いに脈々と受け継がれているという精神的な象徴ともいえます。

● 鱗滝左近次 & 竈門禰豆子

→《希望の守り手/もうひとつの“戦場”にいる存在》

この2人も無限城にはおらず、外部の安全な場所に身を置いています。禰豆子は鬼としての血を持ちながら人を喰わずに生きる唯一の存在として、物語の核心に関わる存在です。

鱗滝は禰豆子の保護者として、彼女を守るだけでなく、隊士たちの礎を築いてきた“教え”の象徴でもあります。

彼らが表舞台に立たずとも、精神的な支柱として物語全体に影響を与え続けています。

■ 映画第1章で描かれた“上弦との闘い”

無限城に引きずり込まれた鬼殺隊の隊士たちは、上弦の鬼たちとそれぞれの戦いに身を投じていきます。

ここでは、映画第1章で描かれた3つの激闘を紹介します。

● 上弦の弐・童磨 vs 胡蝶しのぶ

無限城に落下した胡蝶しのぶがたどり着いた先には、かつて姉・カナエの命を奪った上弦の弐・童磨が待ち構えていました。

しのぶは単独で童磨に立ち向かい、毒を駆使しながら果敢に攻撃を仕掛けます。

童磨の氷の血鬼術と、しのぶの素早く緻密な戦いが激突する中、彼女の命をかけた想いが浮き彫りになります。

● 上弦の陸・獪岳 vs 我妻善逸

雷の呼吸を受け継ぐ者同士の宿命の対決。

善逸は無限城で、かつての兄弟子・獪岳と再会します。

獪岳が鬼となり上弦の陸となっていたことが明かされ、ふたりは激しく対峙。

善逸はこれまでとは異なる冷静な表情を見せ、新たな技を用いて全力の一撃を放ちます。

● 上弦の参・猗窩座 vs 冨岡義勇&竈門炭治郎

空中から落下しながらも合流した炭治郎と義勇は、上弦の参・猗窩座と遭遇します。

2対1の共闘体制で迎え撃つものの、猗窩座の強大な力と戦闘センスに苦戦。

映画第1章では、猗窩座の「破壊殺・羅針」や高速の近接戦闘、そして炭治郎たちの息を合わせた攻撃など、激しい応酬が描かれました。

因縁が導く、宿命の交戦──第1章で描かれた“3つの深層”

無限城の内部で始まった鬼殺隊と上弦の鬼との戦いは、単なる敵味方のぶつかり合いではありません。

こにあるのは、“過去からの因縁”や“継がれた想い”に根ざした深いドラマです。

第1章では、特に3つの戦闘において、それぞれの背景や心の軌跡が丁寧に描かれていました。

上弦の弐・童磨戦──第2章へどう続くか

華奢なしのぶが立ち向かうのは、姉の仇である上弦の弐・童磨。

圧倒的な体格差と戦闘力を前にしながらも、しのぶは命を懸けた計画で戦場に現れます。

やがて物語にはカナヲも加わり、三者三様の因縁が交錯していく──この戦いは、鬼殺隊の“覚悟”が凝縮された場面でもあるのです。

姉の意志を継ぐ刃──胡蝶しのぶ

しのぶの姉、カナエは穏やかで優しい性格ながらも強靭な精神を持ち、鬼でさえも「できることなら許してあげたい」と語る慈悲の心を持っていました。

いしのぶにとって、そんな姉は憧れであり、道しるべのような存在だったのです。

しかし、その姉はある日、童磨との戦いで命を落としました。これは、しのぶが「絶対に鬼を許さない」と誓う大きな転機となります。

しのぶは小柄で、鬼の頸を斬るための筋力や体格が他の柱に比べて不足しているという致命的なハンデを抱えていました。

そのため彼女は、薬学と毒学の知識を活かし、“藤の花”から抽出した毒を武器にするという、特殊な戦闘スタイルを編み出します。

その一振りには、姉の仇を討つという執念と、自らの限界を克服するための知恵が詰まっているのです。

“救い”を語る破壊者──上弦の弐・童磨

一方で童磨は、「人を喰うこと」に何の罪悪感も持たない上弦の鬼でありながら、宗教団体を率い、“救済”の名のもとに人々を集めては取り込んでいくという、異様な過去を持っています。

彼は“苦しむ人々を救ってあげたい”という言葉を口にしますが、その行為は一方的で、支配と摂取にすぎません。

人間の情緒や痛みに共鳴しないその在り方は、しのぶやカナエが信じてきた「人の命の尊さ」とは、真逆のものです。

映画第1章では、しのぶがこの童磨に単身で立ち向かいます。

笑みを浮かべて言葉を交わしながらも、両者の間には決して交わることのない“命”に対する価値観の違いが静かに浮かび上がります。

そのやり取りひとつひとつが、戦いの重みと覚悟を物語っているのです。

静かな怒りと覚醒──栗花落カナヲ

童磨との対峙の中、しのぶに続く形で戦場に姿を現すのが、栗花落カナヲです。

彼女は胡蝶姉妹に引き取られ、蝶屋敷で育てられた剣士であり、しのぶとカナエにとっては“義理の妹”のような存在でした。

過去に辛い環境で育ち、感情をうまく出せなかったカナヲですが、姉妹の影響を受けて少しずつ自分の意志で動けるようになります。

特にカナエのやさしさと、しのぶの厳しくも温かな指導が、カナヲの心の支柱になっていました。

映画第1章では、しのぶと童磨の戦いの最中にカナヲが登場し、その場に合流します。

派手な戦闘こそありませんが、彼女がそこに立つこと自体に大きな意味があります。

しのぶの“覚悟”を受け止め、姉たちの意志を継ごうとする姿勢は、物語の根底に流れる「世代の継承」や「つながり」というテーマを体現しているのです。

しのぶが挑むその背中に、カナヲがどのような決意を抱いているのか──その感情の機微は、今後の展開へとつながる重要な伏線とも言えるでしょう。

上弦の陸・獪岳戦──かつての“兄弟弟子”が交わす、断ち切れぬ因縁

上弦の陸として立ちはだかるのは、かつて善逸と同じ師に学びながら、道を外れた男・獪岳(かいがく)。

鬼となった彼との邂逅は、善逸にとって過去との決着であり、“選ばれなかった者”の悲哀と怒りをぶつけ合う激突です。

この戦いでは、普段の善逸からは想像できないほどの覚悟と怒気がにじみ、彼の知られざる内面が浮き彫りになります。

闇を抱えた雷──我妻善逸について

普段は臆病で頼りなく、泣きながら戦う姿が印象的な善逸ですが、その内側には並々ならぬ信念と覚悟が宿っています。

雷の呼吸の使い手として、彼が習得できたのは「壱ノ型・霹靂一閃」ただ一つのみ。

剣士としては“未熟”と見なされてもおかしくない状況の中で、善逸はその一型だけを極限まで鍛え抜くという、異端とも言える修行を重ねてきました。

この背景には、彼が育った過酷な環境と、師匠である元柱・桑島慈悟郎の厳しくも深い愛情があります。

善逸にとって“戦う理由”とは、自分が認められたいという願い以上に、「信頼してくれた人のために恥じない自分でいたい」という強い思いがあるのです。

上弦の陸・獪岳との戦いにおいては、そうした善逸の内面が強く表出します。

鬼となり、かつての兄弟子だった獪岳が目の前に立ちはだかったとき、善逸は恐怖や戸惑いよりも先に、静かに怒りを燃やします。

その怒りは、鬼になった事実に対するものだけでなく、「師を裏切った」という一点に集約されているのです。

善逸はこの戦いにおいて、初めて“自分の意志”で立ち向かうことを選びます。

師が与えてくれた壱ノ型を信じ、何度倒れても起き上がり、雷のような一閃に想いを込めて刀を振るう姿は、これまでの善逸とは別人のように映ります。

彼にとってこの戦いは、「自分が何者であるか」を決定づける場であり、臆病だった少年が“剣士”として覚醒する大きな転機となったのです。

壊れた矜持と“生存最優先”の裏切り──獪岳について

獪岳は、善逸と同じく雷の呼吸を継承する剣士でありながら、価値観も人生も、まるで正反対の道を歩みました。

表面上は真面目に鍛錬し、人並み以上の実力も備えていましたが、その内面は脆く、絶えず“自分が報われない”という被害意識に蝕まれていました。

彼の根底には「生きてさえいれば勝ちだ」「死んだら終わり」という極端なまでの“自己保存”の思想があります。

それは、日々命を賭ける鬼殺隊の価値観とは対極にあるものです。

その片鱗は、獪岳がかつて悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)の庇護下にあった寺子屋のような場で露呈します。

仲間として暮らしていた孤児たちと共に育てられていた獪岳は、ある夜、寺に鬼を引き入れてしまいます。

自らの命と引き換えに他者を差し出すという行動は、仲間を“駒”としてしか見ていないことの表れであり、結果、彼以外の子どもたちは命を落とすことになりました(このことは後に悲鳴嶼の“十字の罪”として語られます)。

(※作中では「鬼に脅されたから」とされていましたが、映画内での獪岳の回想を観ると「金を盗んで他の子たちに追い出された腹いせにやったのでは?」という解釈も考えられますが、定かではありません)

この事件が象徴しているのは、獪岳が“誰かと共に戦う”という精神を欠いた存在であるということです。

彼は仲間を信じず、助け合う強さも知らず、ただ“自分だけが生き残る”という信条に殉じてきました。

そうした彼が、後に鬼となり、桑島慈悟郎や善逸を裏切るのは、むしろ必然だったのかもしれません。

だからこそ、獪岳との戦いは、善逸にとって単なる過去の清算ではなく、

“何のために戦うのか”“強さとは何か”という鬼殺隊の本質そのものを体現する闘いとなったのです。

上弦の参・猗窩座戦──「闘いの意味」を問う邂逅

映画『鬼滅の刃 無限城編』第1章では、冨岡義勇と竈門炭治郎が上弦の参・猗窩座と再び相まみえます。

かつて煉獄杏寿郎を葬ったこの鬼との戦いは、義勇と炭治郎それぞれの“過去”と“信念”が交差する、重く深い対峙です。

「強さとは何か」「命を懸けて守るとは何か」──それぞれの立場が問いを突きつけ合うこの一戦は、単なる激闘を超えた、“思想と覚悟”のぶつかり合いとして描かれていました。

冨岡義勇──“二重の喪失”を乗り越える静かなる水柱

冨岡義勇──“二重の喪失”を乗り越える静かなる水柱

冨岡義勇にとって、猗窩座との戦いは「過去の痛みと向き合い、自らを赦す」ための決定的な闘いでもあります。

彼の人生には、深く刻まれた喪失が二度ありました。

幼少期、姉・蔦子が鬼に襲われ、自分を庇って命を落としたこと。

そして、鬼殺隊に入るための最終選別で、同じく鱗滝左近次のもとで修業した同期・錆兎が、義勇を守って命を落としたこと。

この「守られてばかりいる自分」への劣等感と、「実力ではなく運で生き残っただけ」という強い自己否定は、義勇の長年の心の重荷となっていました。

力者でありながら柱の中でも孤立しがちだったのは、その根深い感情に起因しています。

一方で、同じく鱗滝に師事し、“水の呼吸”を継承した炭治郎の存在は、義勇にとって失われた絆をもう一度取り戻す希望でもありました。

錆兎と同じ志を持つ炭治郎とともに猗窩座に立ち向かうことで、義勇は“共闘すること”の意味を再認識し、これまで拒んできた絆と責任を正面から受け入れはじめます。

猗窩座との戦いは、ただ強さを競うだけの戦闘ではなく、冨岡義勇という男が、過去の喪失と向き合い、“剣士として、そして人間として再起する”ための儀式とも言える場面です。

その静かな覚悟こそが、水柱としての本当の強さを物語っているのです。

煉獄の仇へ挑む、竈門炭治郎の決意

この戦いは、炭治郎にとって「炎柱・煉獄杏寿郎の意志」を継ぐ闘いとして描かれています。

かつて無限列車で煉獄が命を懸けて立ち向かった相手──それが猗窩座。

彼の死を目の当たりにした炭治郎は、その悔しさと誇りを胸に、再び猗窩座に立ち向かいます。

この戦いにおいて炭治郎は、「水の呼吸」を主体に戦いながらも、要所で“ヒノカミ神楽”の動きを交えつつ応戦します。

猗窩座の技量と再生力は凄まじく、一瞬の油断も許されない激闘。

構図としては、かつて煉獄が命を賭して食い止めた“理不尽な鬼の強さ”と、再び正面から対峙する構造です。

この一戦は炭治郎の成長を象徴する場面でありながら、あくまで「柱の意志を受け継ぐ者」としての闘志に焦点が当てられています。

亡き柱の魂を継ぎ、鬼舞辻無惨へと歩む“受け継ぎ手”としての姿が浮き彫りになっています。

過去に囚われた武の鬼──猗窩座の哀しき原点

猗窩座の強さと執着は、かつての「守りたい存在を守れなかった」悔恨に深く根ざしています。

鬼になる前の名は狛治(はくじ)──“誰かを守る狛犬”を連想させるその名の通り、病弱な父や、慶蔵と恋雪というかけがえのない家族を護るため、拳を磨き続けた青年でした。

しかし、父は息子を思って自ら命を絶ち、さらに恋雪とその父・慶蔵までも毒殺されたことで、狛治の心は崩壊します。

怒りと絶望に駆られ、仇の道場を壊滅──その瞬間、人間でありながら多くの命を奪ってしまったのです。

この“人間を殺した”という行為は、のちに猗窩座が「鬼狩り」ではなく鬼として堕ちる道をたどる決定的な分岐点でした。

実際、産屋敷耀哉には「鬼を殺した人間」には手を差し伸べるが、「人間を殺した者」には救いの手を差し伸べないという行動傾があり、狛治が迎えられることはなかったのです。

その意味で、彼のもとに無惨が現れたのは「偶然」ではなく、“救済の対象にならない者”の当然の結末だったと言えます。

鬼となった猗窩座が用いる「破壊殺・羅針」は、慶蔵の教えた武道「素流(そりゅう)」の技術を昇華したもの。

動きを読み、間合いを図るその構えは、まさに「守るための技」としての原型を残しています。

また、術式展開時に現れる雪の文様は、恋雪の髪飾りに似ており、彼の記憶が“あの雪の日”で凍りついたままであることを示唆します。

さらに技名には「羅針」や「流閃」など、花火を連想させる名称が並び、恋雪との花火の思い出が無意識に刻まれていると見ることもできるでしょう。

猗窩座の口から飛び出した「弱い者は毒を使う」という言葉も、単なる戦闘観ではありません。

かつて、恋雪と師匠を毒で奪われた彼にとって、「毒」は最も忌まわしい手段。

その心理は、毒を使う蟲柱・胡蝶しのぶとの思想的対比としても捉えられます。

どちらも「大切な人を失った過去」を抱えている点で共通しますが、しのぶは“人を救う毒”へと転じ、猗窩座は“人を拒絶する力”として技を昇華させた──その差が、二人の生き方を大きく分けたとも言えるでしょう。

猗窩座の拳は、「誰かを護るための武術」から、「誰かを傷つける鬼の拳」へと変わってしまいました。

しかしその根底には、“失ったものを守りたかった”という想いの残骸が燃え続けています。

だからこそ彼は、戦いの中で「強さ」に異常なまでに執着するのです。

己の中に眠る“守る力”を「破壊する力」として捻じ曲げながら、それでもなお誰かに認められたいという哀しみを背負っています。

この矛盾と苦悩こそが、猗窩座という鬼の本質──過去から抜け出せず、凍てついた記憶に囚われたまま戦い続ける者の姿なのです。

もし、彼が違う形で誰かに手を差し伸べられていたなら──その問いは、作中で何度も語られる“もしも”のひとつとして、深く読者の胸に残ります。

次回への期待──さらなる戦場へ向かう者たち

猗窩座との激闘が終わりを迎えた直後、鬼殺隊の柱たちや仲間たちのもとへ、「猗窩座、討伐──」という鎹鴉の報せが届けられます。

炭治郎と義勇による死闘の結末は、無限城の各地で戦う隊士たち一人ひとりに、確かに伝わっていったのです。

恋柱・甘露寺蜜璃と蛇柱・伊黒小芭内は、無限城を共に進みながらこの知らせを受け、「私たちも続こう」と意気を新たにします。

ふたりの間にある強い絆と使命感が、さらなる戦いへと歩を進めさせているのです。

一方、風柱・不死川実弥と、別行動をとる弟・玄弥も無限城内に身を置いており、それぞれが独自に動き始めています。

霞柱・時透無一郎と岩柱・悲鳴嶼行冥は、すでに雑魚鬼との戦闘を開始しています。

周囲の隊士たちはふたりの体力温存を意識して先行して戦っており、上弦との決戦に備えた布陣が進んでいる様子がうかがえます。

また、上弦の弐と対峙している栗花落カナヲも、傷を負いながらも刀を握りしめ、戦い続けています。

嘴平伊之助もまた、無限城に突入しており、「強いやつのところへ連れていけ」と鎹鴉に叫んでいました。

彼の向かう先にも、いずれ上弦の鬼との戦いが待ち構えているのかもしれません。

“上弦の鬼”がなお潜む無限城──


鬼殺隊の仲間たちは、それぞれの場所で、自らの使命と覚悟を胸に、次なる戦場へと歩みを進めています。

<参考URL>

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 』第一章 猗窩座再来』 公式サイト|2025年7月18日(金)公開